2024年03月21日
【真面目な長話】看取り介護を経て。「死は親が教える最後の教え」??
こんにちは
お肌に優しいゲル化粧品のラ・シンシア化粧品専門サロン
フェイシャル、ボディエステ、メイク、メイクレッスン、化粧品・クリオネ販売の
Miyuki's Room~みゆきのへや~です
昨日3/19は1年前に亡くなった父の命日でした
末期の腎臓病でしたが、どうしても自宅に戻りたいと父の希望で退院
いつも家に一人で居た父・・・
きっとさみしかったよな・・・
なのでこの3週間は、淋しい思いをさせないように、Miyuki’s Roomのお仕事も既にご予約をいただいていたお客様のみだけにし、当時兼業していた会社もすべてお休みさせていただきました
これも勤め先やMiyuki’s Roomのお客様の協力がなくては出来ないこと!
おかげさまで父との貴重な3週間を仲良く過ごすことができました
仲良しは子供の頃以来のことだと思います
そんな父も退院してきてしばらくはまだ起き上がることができて食事も出来たので、大好きな鰻やお寿司、茶わん蒸しやお汁粉、アイスクリームやプリンをなるべく食べさせてあげることが出来ました
「美味いなぁ~、贅沢だなぁ~」と言って大喜びして食べていました
まだ動けた時、車で少し気晴らしにお出掛けしたものの、急に体力が尽きてしまったのか車から降りられなくなってしまったことがありました
その時は父をおんぶしてベッドまで運びました
ガリガリにやせ細った父は昔取っ組み合いの喧嘩をした時とは大違いに軽く小さかったです
それから間もなくしてまったくベッドから全く起き上がれなくなってきました
そのときは、身体のだるさを取ってあげられるようにストレッチやマッサージをしてあげるようにしました
すると、「お前はマッサージが上手いなぁ」「気持ちいいなぁ」と抜けるような声で言って、さっきまで身体が痛い痛いと言っていたのにいつの間にかスヤスヤと寝ていました(秒で寝てました、びっくりするくらい早かった~)
さらに状態が悪くなって夜中のせん妄が始まった時
私に対して意味不明に何か大声で怒鳴ったり、幻覚や幻聴で訳の分からない行動をしていたので必死で付き合いました(人間てこんな風になるんだ(-_-;)と驚きました)
さらにだいぶ弱ってきて呼吸が苦しくなってきた時
なるべく手を握ってあげたり、「あ~」「う~」だけで成り立つ会話をなるべくたくさんするようにしてあげたりしました
(イメージ)
「お水飲む?」
「アイス食べる?」
「苦しくない?」
唯一食べられる水やバニラアイスを欲しがるタイミングを身逃さないように
何も食べられなくなってくると、何か口に入れてほしいのでこちらも必死です
そうやって声を掛けていると、私がそばを離れようとすると私のパジャマの裾をもって「近くにいろ」という動作をしてきたので可愛かったです
近くに居なくなると困るから、ね
そして亡くなる前の晩・・・
こんなにか弱い声で呼ばれても気付いてあげられないので、私を大きな声で呼ぶ練習をさせてみました
「小さい声で呼んでも聞こえないと起きてあげれないで「おーーーい」って呼ぶ練習してみるか」
もう声は出ないと思っていたので半分冗談だったのですが、「おーい」と大きな声を出す私の真似をしてびっくりする位大きな声で呼んだので大笑いをしてしまいました
父も私を呼べるように必死です
(介護用のチャイムがあるのでそれを使ってくれれば良かったのですが使うのを嫌がりました)
でも、その大きな「おーい」でその晩はいつもより多く起こされ、「これが毎晩続いたらしんどいなぁ」と正直思っていたところでした
今日は何回起こされるんだろう?スクショでも撮っておこうかな~
たまたま撮ったスクショがコチラ↓
でも、この4:05が最後
父のそばで寝るのもこれが最後になりました
ああ見えて人に世話をかけたくないという気持ちの強かった父なので、世話をかけるのもこの日で最後にしたかったのかなとも思いました
そして
1年前の3月はこんな風に過ごしていたので、この月の私の収入はごくごく僅か・・・
↑この月の給与明細(びっくりの金額)
でも、お金には代えられない時間を過ごせたと私は思っています
まさに、「今しかできないこと」でした
元気な時は仲良し父娘にはなれなかったけれど、「終わり良ければすべて良し」
(そう思うしかない)
死は親が教える最後の教え
という言葉を聞いたことがあります
この経験は、まさにこれだなと私は思っています
一人の人間が弱っていく姿(父の場合はそのスピードが速かった)、
そして死、
その後の手続きの数々
(一人の人間が死ぬということの重大さ)
お通夜や葬儀、初盆の時にわざわざ足を運んでくださった方々への感謝
これら実際に見せられて、経験して、この1年間で私は本当にたくさんのことを感じ、学びました
同時に自分の人生に重ねて考える機会かなり増え、意識もかなり変化しました
よく、大病を患ったりするとこういった機会を得ると聞きますが、私の場合は大病しなくてもこういった機会を得ることができたのでそれだけ価値のある経験だったのだと思います
本当の意味で「一度きりの人生を大切に生きるとは」が解った気がしました
【この1年間に私の中での変化したこと】
①「幸せと感じることをしよう。今を大切に生きよう
・もともとそういった意識は高い方でしたが、先延ばし癖もあったので先延ばしは極力無くすようにしました
・自分がやりたいことは何なのか、どんな人生を送りたいのか、改めてしっかりと考えました
そうしてこのような決断をしました↓
10年以上続けてきた兼業の仕事を思い切って退職!
Miyuki’s Roomの営業日以外はすべてフルタイムで勤務していたので結構きつかったです
Wワークと家事、介護の両立に限界を感じていた私・・
一番優先したいMiyuki’s Roomの仕事の時間が一番削られてしまっている現実を解消したかった
同時に、ちゃんとお休みをつくってプライベートに使える自由な時間をつくりたかった
→退職したことで、やりたい事=Miyuki’s Roomの仕事を一番に優先できるようになりました
たまに甥っ子たちとランチにも行けるようになりました
ずっと気になっていた朝ラーメンにも行ってみました
やってみたかった家庭菜園も開始!
自分で育てた野菜は何より美味しいし、幸せな気分になれます
私が育てた野菜たちを初盆のお供えにしました
農業が趣味だった父なのできっと喜んでくれたと思います
②「後悔しないように生きよう」
・自分に対してはもちろん、人との関係についても以前より意識するようになりました
・父が亡くなった時のように、きっと母が亡くなったら「あの時、ああしてあげれば良かった、こうしてあげれば良かった」と思う。だったら思わないように今のうちにやっておこうと思うようになりました
→火曜日は母の介護デーに
母優先の時間をつくって、なるべく母の希望を叶えてあげる時間をつくるようにしました
巻き寿司をつくる母
得意だった唐揚げをつくる母
食べることが大好きな母
私も現在51才
平均寿命までは残り35年程度
しかし健康寿命で言えば残りはあと25年もありません
最近、漫画家の鳥山明さんや声優のタラコさんが60代でお亡くなりになったニュースもありましたが、そう考えれば私の余生は10年~20年程度
また能登の地震のように大きな災害がきてしまったら年令なんて全く関係なく突然に死は訪れてしまうかもしれない
こればっかりは分かりませんが、人生あと10年とでも思って生きたら、「いつかやろう」「いつか、いつか」などと思って先延ばしにしてはいられません
残りの人生はなるべく悔いの残らないようにやりたいこと、やってみたいことをどんどん実現していきたいと思います
そんなこんなの1年を経て、4月からは「Miyuki’s Roomの仕事(営業日)」を増やします
今後は大好きなこの仕事で頑張るのみです
今までの何倍も頑張るのみです
これまでなかなか手を付けられなかった「やりたいこと」や「やってみたいこと」は爆発するくらいたくさん
あ~やったらいいんじゃないか、こうやったらいいんじゃないか
アイデアも次から次へと浮かんできてワクワクが止まらない
本当にこの仕事が大好きなのだと思います
4月から再出発していくMiyuki’s Room
ぜひお越しいただけたら幸いです
今回は、父の1年の命日を機に、この1年の自分の気持ちの変化などを赤裸々に綴ってみました(相当恥ずかしい)
けれど、7年前に母が脳梗塞を発症し在宅介護が始まったことをきっかけに、そちらも本当に色んなことがあり、色んなことを感じてきたので、今後は母の介護日記なども書いていけたらいいなと思っています
いまのところ、
我が人生に悔いなし
(子供が大好きなので子供が居ないこと以外(笑))
今年は運勢も良かったし(笑)
良くなるしかない!と信じて頑張りますっ
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化粧品、メイク、エステ、クリオネでセルフケアのお手伝い
10年後も若々しく、素肌美人を目指す方のためのサロンです
ラ・シンシア化粧品専門サロン
美顔器クリオネ正規販売店
Miyuki’s Room(みゆきのへや)
08036122291(古橋)
※ご予約・お問い合わせはLINE公式アカウント、またはショートメールが便利です
※只今、HPページからのご予約、お問い合わせは一時中止させていただいております
※お電話に出られないことも多いため、大変恐れ入りますがお電話の場合は留守電にメッセージを残していただけると幸いです
【住所】浜松市中区高丘西 1-7-16
クレフラスト高丘 A103
【営業日】
日月木、第1・3・(5)土 10:00~17:30
※完全予約制
※臨時休業等につきましては、毎月の「営業日・営業時間のご案内」ブログにて随時更新
(HPトップ画面またはLINE公式アカウントからもご覧いただけます)
※LINE公式アカウント ID 「@ayg2002k」お得な情報も配信中!
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【サロンメニュー(最新版)】
(クリックで拡大)
【ポイントを集めてもらえるプレゼント(2022.10~】
【ホームページ】
【アクセス方法】
【当店についてQ&A】
※インターネットからのお問い合わせ・ご予約・ご注文は365日24時間OK
お肌に優しいゲル化粧品のラ・シンシア化粧品専門サロン
フェイシャル、ボディエステ、メイク、メイクレッスン、化粧品・クリオネ販売の
Miyuki's Room~みゆきのへや~です
昨日3/19は1年前に亡くなった父の命日でした
末期の腎臓病でしたが、どうしても自宅に戻りたいと父の希望で退院
自宅で3週間ほど過ごしたところで亡くなったのですが、こんなに短い期間でもなかなか大変なものでした
素人には分からないことばかりで、訪看さん(訪問看護の看護師さん)にはお世話になりっぱなしだったので本当に感謝しています
この日もあまりに苦しむ父を前にどうしてよいか分からず訪看さんに助けを求め、緊急ということで来ていただいていました
時刻は早朝4時
訪看さん、本当に大変なお仕事です
到着後、苦しさから解放してあげられるようにと色々と処置をしていただきましたが、父は間もなく息を引き取り、私と訪看さんで最期を見届けました
「多分もうダメだと思うのですぐ妹さんを呼んで下さい!!」と訪看さんから指示を受け、近くに住む妹にすぐ電話をしましたが、さすがに夜明け前ですぐには繋がらず、妹が到着した時にはもう亡くなった後でした
母もたまたまショートステイで外泊をしていたので、最期の最期に立ち会えたのは肉親では私だけでした
(本当は母が居れば良かったのですが・・)
顎をガクガクッと動かした時は、「え、もしかしてこれがあの下顎呼吸?死んじゃうの?!」とただ呆然と見守るだけでしたが、あの光景を今でもはっきり覚えています
もう年齢的にも(51才)人の死というものは何度も経験してきましたが、親の死を目の前で見るというのはまた何とも言えない気持ちでした
とってもわがままで自己中だった父・・・
そんな父が大嫌いでよく衝突をしていたので、正直父が元気な時は父が死んでも悲しくなんかなるわけがないと思っていました
なのに、全く反対で色んな後悔が頭に浮かんで、悲しい思いと淋しい思いでいっぱいになりました
父が霊柩車で自宅から出る時や葬儀、火葬の火の中に入る時などはなおさら、してもらったことや良かった思い出ばかりが浮かんでたくさん涙が出ました
あんなに、絶対に悲しくなんかなるわけがないと思っていたのに、嫌なことは全部きれいに忘れて、感謝と後悔しかないのには自分でも驚きでした
あの時〇〇をしてくれたなあ、ありがとう
父のおかげでご飯も食べれて大人になれた、ありがとう
父のおかげであったかい布団で寝れるし、雨風をしのげる家もある、ありがとう
このような風に感謝しか浮かんでこない
私は本当は仲良くしたかったんだよな・・
よくスーパーなどで仲の良い父娘を見るといつも羨ましく思っていたので、ただただ、あんな父娘になれなかったことが悔やまれました
もっと優しくしてあげれば良かった
もっと○○してあげれば良かった
でもやっぱりどうしても優しく出来ない時はあったし、近くにいるだけで滅入ってしまう時もあったので、あの時はあの時で仕方がなかった・・・
それでも、その時その時でできることはしてきたから・・・
そう思うことで自分を慰めました
なので、「もっと○○してあげれば良かったね」「もっと仲良くできれば良かったね」は手紙に書いて棺に入れました
「○○してくれてありがとう」も
父もきっと本当は家族と仲良くしたかったはず
素人には分からないことばかりで、訪看さん(訪問看護の看護師さん)にはお世話になりっぱなしだったので本当に感謝しています
この日もあまりに苦しむ父を前にどうしてよいか分からず訪看さんに助けを求め、緊急ということで来ていただいていました
時刻は早朝4時
訪看さん、本当に大変なお仕事です
到着後、苦しさから解放してあげられるようにと色々と処置をしていただきましたが、父は間もなく息を引き取り、私と訪看さんで最期を見届けました
「多分もうダメだと思うのですぐ妹さんを呼んで下さい!!」と訪看さんから指示を受け、近くに住む妹にすぐ電話をしましたが、さすがに夜明け前ですぐには繋がらず、妹が到着した時にはもう亡くなった後でした
母もたまたまショートステイで外泊をしていたので、最期の最期に立ち会えたのは肉親では私だけでした
(本当は母が居れば良かったのですが・・)
顎をガクガクッと動かした時は、「え、もしかしてこれがあの下顎呼吸?死んじゃうの?!」とただ呆然と見守るだけでしたが、あの光景を今でもはっきり覚えています
もう年齢的にも(51才)人の死というものは何度も経験してきましたが、親の死を目の前で見るというのはまた何とも言えない気持ちでした
とってもわがままで自己中だった父・・・
そんな父が大嫌いでよく衝突をしていたので、正直父が元気な時は父が死んでも悲しくなんかなるわけがないと思っていました
なのに、全く反対で色んな後悔が頭に浮かんで、悲しい思いと淋しい思いでいっぱいになりました
父が霊柩車で自宅から出る時や葬儀、火葬の火の中に入る時などはなおさら、してもらったことや良かった思い出ばかりが浮かんでたくさん涙が出ました
あんなに、絶対に悲しくなんかなるわけがないと思っていたのに、嫌なことは全部きれいに忘れて、感謝と後悔しかないのには自分でも驚きでした
あの時〇〇をしてくれたなあ、ありがとう
父のおかげでご飯も食べれて大人になれた、ありがとう
父のおかげであったかい布団で寝れるし、雨風をしのげる家もある、ありがとう
このような風に感謝しか浮かんでこない
私は本当は仲良くしたかったんだよな・・
よくスーパーなどで仲の良い父娘を見るといつも羨ましく思っていたので、ただただ、あんな父娘になれなかったことが悔やまれました
もっと優しくしてあげれば良かった
もっと○○してあげれば良かった
でもやっぱりどうしても優しく出来ない時はあったし、近くにいるだけで滅入ってしまう時もあったので、あの時はあの時で仕方がなかった・・・
それでも、その時その時でできることはしてきたから・・・
そう思うことで自分を慰めました
なので、「もっと○○してあげれば良かったね」「もっと仲良くできれば良かったね」は手紙に書いて棺に入れました
「○○してくれてありがとう」も
父もきっと本当は家族と仲良くしたかったはず
お葬式の日の夜には今まで見たことのないような笑顔で夢に出てきてくれたからきっと読んでくれたのだと思います
(母の夢に出てくる父も嘘のようにいつもニコニコしているそうです)
1年経った今でもこの後悔は消えることはありませんが、この最期の3週間は自宅で介護できて本当に良かったと思っています
頑固な父が頑なに自宅に帰る意思を曲げなかったためこのように流れになっただけですが、訪看さんや訪問医をしてくださった先生、ケアマネさん、福祉用具の方、酸素吸入器レンタルの方など、本当にたくさんの方々のおかげで何とか無事にやり遂げることができました
本当にありがとうございました
(母の夢に出てくる父も嘘のようにいつもニコニコしているそうです)
1年経った今でもこの後悔は消えることはありませんが、この最期の3週間は自宅で介護できて本当に良かったと思っています
頑固な父が頑なに自宅に帰る意思を曲げなかったためこのように流れになっただけですが、訪看さんや訪問医をしてくださった先生、ケアマネさん、福祉用具の方、酸素吸入器レンタルの方など、本当にたくさんの方々のおかげで何とか無事にやり遂げることができました
本当にありがとうございました
いつも家に一人で居た父・・・
きっとさみしかったよな・・・
なのでこの3週間は、淋しい思いをさせないように、Miyuki’s Roomのお仕事も既にご予約をいただいていたお客様のみだけにし、当時兼業していた会社もすべてお休みさせていただきました
これも勤め先やMiyuki’s Roomのお客様の協力がなくては出来ないこと!
おかげさまで父との貴重な3週間を仲良く過ごすことができました
仲良しは子供の頃以来のことだと思います
そんな父も退院してきてしばらくはまだ起き上がることができて食事も出来たので、大好きな鰻やお寿司、茶わん蒸しやお汁粉、アイスクリームやプリンをなるべく食べさせてあげることが出来ました
「美味いなぁ~、贅沢だなぁ~」と言って大喜びして食べていました
まだ動けた時、車で少し気晴らしにお出掛けしたものの、急に体力が尽きてしまったのか車から降りられなくなってしまったことがありました
その時は父をおんぶしてベッドまで運びました
ガリガリにやせ細った父は昔取っ組み合いの喧嘩をした時とは大違いに軽く小さかったです
それから間もなくしてまったくベッドから全く起き上がれなくなってきました
そのときは、身体のだるさを取ってあげられるようにストレッチやマッサージをしてあげるようにしました
すると、「お前はマッサージが上手いなぁ」「気持ちいいなぁ」と抜けるような声で言って、さっきまで身体が痛い痛いと言っていたのにいつの間にかスヤスヤと寝ていました(秒で寝てました、びっくりするくらい早かった~)
さらに状態が悪くなって夜中のせん妄が始まった時
私に対して意味不明に何か大声で怒鳴ったり、幻覚や幻聴で訳の分からない行動をしていたので必死で付き合いました(人間てこんな風になるんだ(-_-;)と驚きました)
さらにだいぶ弱ってきて呼吸が苦しくなってきた時
なるべく手を握ってあげたり、「あ~」「う~」だけで成り立つ会話をなるべくたくさんするようにしてあげたりしました
(イメージ)
「お水飲む?」
「アイス食べる?」
「苦しくない?」
唯一食べられる水やバニラアイスを欲しがるタイミングを身逃さないように
何も食べられなくなってくると、何か口に入れてほしいのでこちらも必死です
そうやって声を掛けていると、私がそばを離れようとすると私のパジャマの裾をもって「近くにいろ」という動作をしてきたので可愛かったです
近くに居なくなると困るから、ね
そして亡くなる前の晩・・・
こんなにか弱い声で呼ばれても気付いてあげられないので、私を大きな声で呼ぶ練習をさせてみました
「小さい声で呼んでも聞こえないと起きてあげれないで「おーーーい」って呼ぶ練習してみるか」
もう声は出ないと思っていたので半分冗談だったのですが、「おーい」と大きな声を出す私の真似をしてびっくりする位大きな声で呼んだので大笑いをしてしまいました
父も私を呼べるように必死です
(介護用のチャイムがあるのでそれを使ってくれれば良かったのですが使うのを嫌がりました)
でも、その大きな「おーい」でその晩はいつもより多く起こされ、「これが毎晩続いたらしんどいなぁ」と正直思っていたところでした
今日は何回起こされるんだろう?スクショでも撮っておこうかな~
たまたま撮ったスクショがコチラ↓
でも、この4:05が最後
父のそばで寝るのもこれが最後になりました
ああ見えて人に世話をかけたくないという気持ちの強かった父なので、世話をかけるのもこの日で最後にしたかったのかなとも思いました
そして
1年前の3月はこんな風に過ごしていたので、この月の私の収入はごくごく僅か・・・
↑この月の給与明細(びっくりの金額)
でも、お金には代えられない時間を過ごせたと私は思っています
まさに、「今しかできないこと」でした
元気な時は仲良し父娘にはなれなかったけれど、「終わり良ければすべて良し」
(そう思うしかない)
死は親が教える最後の教え
という言葉を聞いたことがあります
この経験は、まさにこれだなと私は思っています
一人の人間が弱っていく姿(父の場合はそのスピードが速かった)、
そして死、
その後の手続きの数々
(一人の人間が死ぬということの重大さ)
お通夜や葬儀、初盆の時にわざわざ足を運んでくださった方々への感謝
これら実際に見せられて、経験して、この1年間で私は本当にたくさんのことを感じ、学びました
同時に自分の人生に重ねて考える機会かなり増え、意識もかなり変化しました
よく、大病を患ったりするとこういった機会を得ると聞きますが、私の場合は大病しなくてもこういった機会を得ることができたのでそれだけ価値のある経験だったのだと思います
本当の意味で「一度きりの人生を大切に生きるとは」が解った気がしました
【この1年間に私の中での変化したこと】
①「幸せと感じることをしよう。今を大切に生きよう
・もともとそういった意識は高い方でしたが、先延ばし癖もあったので先延ばしは極力無くすようにしました
・自分がやりたいことは何なのか、どんな人生を送りたいのか、改めてしっかりと考えました
そうしてこのような決断をしました↓
10年以上続けてきた兼業の仕事を思い切って退職!
Miyuki’s Roomの営業日以外はすべてフルタイムで勤務していたので結構きつかったです
Wワークと家事、介護の両立に限界を感じていた私・・
一番優先したいMiyuki’s Roomの仕事の時間が一番削られてしまっている現実を解消したかった
同時に、ちゃんとお休みをつくってプライベートに使える自由な時間をつくりたかった
→退職したことで、やりたい事=Miyuki’s Roomの仕事を一番に優先できるようになりました
また7年ぶりに「休み」をつくることができ、リラックスすることで逆に仕事もはかどるようになりました
たまに甥っ子たちとランチにも行けるようになりました
甥っ子たちと過ごす時間は私の癒しの時間です
ずっと気になっていた朝ラーメンにも行ってみました
随分とたくさん食べれるようになって成長を感じました
やってみたかった家庭菜園も開始!
自分で育てた野菜は何より美味しいし、幸せな気分になれます
私が育てた野菜たちを初盆のお供えにしました
農業が趣味だった父なのできっと喜んでくれたと思います
②「後悔しないように生きよう」
・自分に対してはもちろん、人との関係についても以前より意識するようになりました
・父が亡くなった時のように、きっと母が亡くなったら「あの時、ああしてあげれば良かった、こうしてあげれば良かった」と思う。だったら思わないように今のうちにやっておこうと思うようになりました
→火曜日は母の介護デーに
母優先の時間をつくって、なるべく母の希望を叶えてあげる時間をつくるようにしました
巻き寿司をつくる母
料理をしていた頃を思い出すみたい
左麻痺なので左手は動きませんが右手は使えます
得意だった唐揚げをつくる母
甥っ子が美味しいと言ってくれるから作ってあげたいらしい
揚げ物は準備と片付けが面倒くさいけど、前より時間的にゆとりがあるのでイライラしなくなりました
食べることが大好きな母
たま~に外食に連れて行ってあげると大喜びします
父にも好物をたくさんお供え(鰻は特別な日だけだけど)
また、一人で淋しくさせないように遺影は床の間ではなく居間へ
私も母も毎日話しかけてます
③「明日死ぬかもよ」
・この言葉を何度自分に投げかけたか分からないくらい自分に言いました
「明日もし死んだら後悔するな」と思ったことは、「あれ食べたい」というようなどんなに些細なことでも実行するようになりました
(おかげで数キロ太ってしまった)
父にも好物をたくさんお供え(鰻は特別な日だけだけど)
また、一人で淋しくさせないように遺影は床の間ではなく居間へ
私も母も毎日話しかけてます
③「明日死ぬかもよ」
・この言葉を何度自分に投げかけたか分からないくらい自分に言いました
「明日もし死んだら後悔するな」と思ったことは、「あれ食べたい」というようなどんなに些細なことでも実行するようになりました
(おかげで数キロ太ってしまった)
スクールに通って資格(整体)も取得
スキルアップできました
④「周りの人を大切にしよう」
・今まで以上に、関わってくれる方たちを大切にしようと思うようになりました
良くも悪くも、前よりも世話焼きでお節介になった気もします(笑)
・特に、母のように身体が不自由な人や亡くなった父のような高齢者、またそういった方を介護したり看病したりしているケアラー(自分と同じ立場の人など)の役に立てる何かがしたいという気持ちがより強くなりました
④「周りの人を大切にしよう」
・今まで以上に、関わってくれる方たちを大切にしようと思うようになりました
良くも悪くも、前よりも世話焼きでお節介になった気もします(笑)
・特に、母のように身体が不自由な人や亡くなった父のような高齢者、またそういった方を介護したり看病したりしているケアラー(自分と同じ立場の人など)の役に立てる何かがしたいという気持ちがより強くなりました
私も現在51才
平均寿命までは残り35年程度
しかし健康寿命で言えば残りはあと25年もありません
最近、漫画家の鳥山明さんや声優のタラコさんが60代でお亡くなりになったニュースもありましたが、そう考えれば私の余生は10年~20年程度
また能登の地震のように大きな災害がきてしまったら年令なんて全く関係なく突然に死は訪れてしまうかもしれない
こればっかりは分かりませんが、人生あと10年とでも思って生きたら、「いつかやろう」「いつか、いつか」などと思って先延ばしにしてはいられません
残りの人生はなるべく悔いの残らないようにやりたいこと、やってみたいことをどんどん実現していきたいと思います
そんなこんなの1年を経て、4月からは「Miyuki’s Roomの仕事(営業日)」を増やします
今後は大好きなこの仕事で頑張るのみです
今までの何倍も頑張るのみです
これまでなかなか手を付けられなかった「やりたいこと」や「やってみたいこと」は爆発するくらいたくさん
あ~やったらいいんじゃないか、こうやったらいいんじゃないか
アイデアも次から次へと浮かんできてワクワクが止まらない
本当にこの仕事が大好きなのだと思います
4月から再出発していくMiyuki’s Room
ぜひお越しいただけたら幸いです
今回は、父の1年の命日を機に、この1年の自分の気持ちの変化などを赤裸々に綴ってみました(相当恥ずかしい)
けれど、7年前に母が脳梗塞を発症し在宅介護が始まったことをきっかけに、そちらも本当に色んなことがあり、色んなことを感じてきたので、今後は母の介護日記なども書いていけたらいいなと思っています
いまのところ、
我が人生に悔いなし
(子供が大好きなので子供が居ないこと以外(笑))
今年は運勢も良かったし(笑)
良くなるしかない!と信じて頑張りますっ
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